※この記事は、椎葉村図書館「ぶん文Bun」で主担当を務めているクリエィティブ司書の小宮山が個人のホームページに掲載したものを転写しております※
記念すべき第2回の発表である。
2021年1月20日、第164回芥川賞・直木賞の選考会が無事に執り行われた。新型コロナウィルス感染症の影響が危ぶまれるなかではあるが出版界随一の大イベントは無事に開催され、芥川賞に関してはまさしく「順当」な作家が受賞したと言えるだろう。ご存知の通り、芥川賞は宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」、直木賞は西條奈加さんの『心(うら)淋し川』へと渡った。
ちなみに私が統括・選書を務めている椎葉村図書館「ぶん文Bun」では早くから(三島由紀夫賞を最年少で受賞したころから)「宇佐見りんさん来ちゃうぞ~!」ということで発注をかけていたのだが時すでに遅し。今現在は『かか』しか手に入れられないでいる状況である。この失態には、我が館のキャラクター「コハチロー」もそうとうなオカンムリで、かなり触覚にきているそうだ。司書としての選書・調達能力のなさを呪うばかりである。ほんますいません。
そこで何とか気をとりなおして、今日の発表に取り組みたい所存である。この「クリエィティブ司書賞(小宮山賞)」は、2020年・・・すなわち小宮山剛が「クリエイティブ司書」となってようやくその在り方がわかりはじめた頃に開始した「すごく勝手な賞」である。昨年度の発表記事を参考にしていただきつつ、その趣旨を下記のとおり再掲致したい。
この賞は、椎葉村地域おこし協力隊クリエイティブ司書(小宮山剛)が毎年1月(芥川賞・直木賞の下半期受賞作発表後なるべく速やかに)に発表する、前年に発行された図書のうちで最もおすすめしたい一冊(一シリーズ)に対して勝手に贈られる賞である。何の栄誉もなければ賞金もないし、きっと売り上げも上がらないけれど、「クリエイティブ司書はこんな本が好きなのかぁ」ということを知って訳知り顔になれるというとてもお得で害のない賞である。
・・・そう。つまりこの賞には何の拘束力も結束力もなければ、何の社会的影響もない。小宮山がもし結婚するとなれば石原さとみさんや福山雅治さんが結婚したとき以上の「ロス」を生み株価が大暴落し、その様はまさに「令和初の恐慌」と呼ばれることだろうことは重々承知しているが、クリエィティブ司書賞の発表が書店売上、株価、給食の献立、家庭内の安寧、椎葉村図書館「ぶん文Bun」の貸出数、世界平和、このうちいずれかにでも貢献できるかどうかは正直なところわからない。しかしながら僕にはこの賞を発表するにあたっての大きな喜びがあるし、2020年に何だか大々的に始めたからにはしっかりと(いつまでか知らんけど)やり通す大義というものがあるように思う。
さて、栄えある「クリエィティブ司書賞(小宮山賞)」の発表の前にここで一つ確認である。世間にはもしかすると「芥川賞・直木賞は年に1回の発表だ。1年が過ぎるのはこんなにも早いんだなぁ」と思っている人が多くいらっしゃるのかもしれない。私も、中学生くらいまではそう思っていたような気がする。しかしそれは時空のゆがみ、あるいは情報の混濁というものであって、芥川賞・直木賞は毎年上半期・下半期にわたり年に2回の受賞作発表が行われている。今回宇佐見りんさん、西條奈加さんが受賞されたのは第164回(2020年下半期)ということであるが、2020年の上半期(第163回)にも、とても立派な受賞作があった。
今日は、栄えある「クリエイティブ司書賞(小宮山賞)」の発表の前に、まず第163回芥川賞・直木賞の受賞作たちに対するクリエィティブ司書のレビュー(@ブクログ)をご紹介しようと思う。芥川賞を同時受賞した『首里の馬』(高山羽根子さん)、『破局』(遠野遙さん)、そして直木賞を受賞した『少年と犬』(馳星周さん)は、どれも読みごたえがあった。ぜひこれらもお手にとっていただきたいと思う。
2021年 第二回
「クリエイティブ司書賞」(小宮山賞)
・・・さて、ようやくの発表である。発表ですぞ!
そんなわけで、勝手に発表される2021年(第二回)クリエィティブ司書賞(小宮山賞)を受賞するのは・・・
辻村深月『図書室で暮らしたい』《文庫版》(講談社、2020.10)
・・・です!
辻村深月さんの小説ファンは多いと思うのだけれど、このエッセイ集『図書室で暮らしたい』がもっと広まればなぁ・・・と思っていた私。2015年11月に単行本として出版されていたのだけれど、内容というかこの本の「スタイル」には、文庫本というたたずまいがとてもよく似合うと思うのです。そばに、居てくれる感じ。
「クリエイティブ司書」という、もはや半分図書室で暮らしてるような仕事をしている小宮山だが、このエッセイには随所に頷かせられるところ、泣かせられるところ、一緒に居たくさせられるようなところがあって、一人の作家「辻村深月」をこんなに近くで見せてもらってもいいのかというような、等身大であることが嬉しくもあり不安でもあるような、そんな気持ちにさせるところがある。そんなことがあって、僕は2020年の出版物として世に出た本の中で、この一冊を推したいと思う。
「小説を読む」ということはもしかすると割合に多くの人が体験したことのある行為かもしれないけれど、その小説を書いた「作家を知る」ということまで踏み込んでいる人は、少ないのだと思う。だからこそ「純文学は難しい」とか「なんか読みやすかったけれど結局何が言いたいのかわからなかった」とか「長かった」とかいう感想が出てきてしまうのだ。
それはあまりにもったいない!
僕は大学で文学を専攻し「作家を知る」ことを主題としてきた。いわゆる研究というもので、作家が生きた時代を知り、作家が書いた書簡を読み、作家の交友関係を調べ、作家の「癖」を知り・・・・もはや長年にわたり薬の売買を続ける超大物を追う麻薬捜査班みたいだ。その行為はとても長く辛い苦行にも似て「僕はこんなにD. H. Lawrenceのことを知っていったい何しちゃうつもりだろう」なんて気持ちにさせられる。
その点「エッセイ」は違う。長文が苦手の人だって楽しく読めるし、短いスパンでテーマが切り替わるから興味が尽きない。そして何より、作家その人の心に近づくことができる。
『図書室で暮らしたい』ということばの真意はぜひ本著を手に取り(できることなら椎葉村図書館「ぶん文Bun」で)理解してほしいのだけれど、一つ言っておけるのは、これは図書館に関するあれやこれやをダラダラと書いたエッセイなどではないということだ。子育てをしながら作家活動に励む辻村深月さんの生活そのもののように、だいたいはドタバタとしながら、ときとして深海の底の方みたいにしんとした時間が流れるという、乱高下しながらもやさしく落ち着かせてくれる文章が詰まっている。。新聞などに掲載された軽妙な文章は毎度毎度のように時やところを変え、僕たちを図書室以外のどこにだって連れていってくれる。
辻村深月さんの小説が好きな人ならもちろん、まだ知らないという方にも強くおすすめできる一冊です。
『図書室で暮らしたい』(辻村深月)、ぜひ手に取ってみてください。
クリエィティブ司書
小宮山剛